皆さんは、現在、幸せですか?不治の病、介護、孤独など・・・見当もつかない社会問題が増えて、世知辛い時代になっていると感じています。私は三歳から母子家庭、二十代でうつ病、入院中に離婚、失業に追い込まれました。三十代前半にパンの販売員として就業できたものの、お客様に気を使い過ぎて体調が悪くなり再び自宅療養・・・。「このままでは寝たきりになってしまって、将来、家族に迷惑をかけてしまう。筋肉を付けなくては母親の面倒もみられない。」と、一念発起。二〇〇八年の九月半ばにカーブスに入会しました。就業支援を受けながら年に数ヶ月は働いています。
気付けばカーブス歴七年半になりました。ここまで続けられたのは、コーチの応援があったからだと通感しています。入会して半年位は、なかなか成果が出ませんでした。
「栄美子さん、元気がないけど何か悩みでもあるの?」
と、最初に声を掛けて下さったのは、KAコーチでした。生活習慣やマシンの動かし方を相談し、少しずつ改善されました。
オープンメンバーさんより二年二ヶ月遅く入会したので、行事がある日も恥ずかしくて、WOとストレッチ後、すぐ帰ろうとチェックアウトしようとした時、HAコーチに
「私が一緒に居てあげますから、皆の所へ行きましょうよ。」
と誘って頂きました。お陰で数人のメンバーさんと楽しく過ごす事ができました。KAコーチとHAコーチに背中を押してもらい、助かりました。この頃他には、バスガイドを経て入社したHBコーチと、福祉に興味がある加藤コーチがいらっしゃいました。HBコーチには、
「栄美子さんは、真面目だから、肩の力を抜いて気楽にWOしてね。」
と、言われた事を覚えています。KBコーチとは五年半という長い期間、叱咤激励を受けながら人間関係の大変さも学びました。私事で・・・子宮筋腫が大きくなったり、また乳癌疑いで再検査したり、更年期障害に突入し関節痛やホットフラッシュや不眠に悩み、副作用からの目眩やイライラなどと向き合い始めた不調な時期にリーダーだった事もあり、対応に四苦八苦したのではないでしょうか・・・。
 YコーチとSAコーチは半年程のお付き合いでした。この二人からは若さを頂きました。
自分自身の母親がくも膜下出血で倒れ、その看病経験のあったSBコーチは、表情を見ただけで気の利いたサポートをして下さる、後輩コーチのお手本になる様な優しくて面白い方でした。無理して強がっている時、「栄美子さん、頑張り過ぎは禁物ですよ。 使った筋肉を休ませるのも大事なんですよ。」と、良い意味での喝を頂きました。
老人ホーム勤務後、入社したMAコーチは接客上手でした。また、脂質異常症をカーブスのWOで自ら克服した河戸コーチにはびっくりさせられました。
こんな慌ただしい二〇十三年の春に服部コーチが入社し早三年が経ちます。私の子供と同じ年齢とは思えない程立派で、適切なアドバイスをして下さいます。WO後にさりげなく
「栄美子さん 今日は二周出来ましたね。良かったですね。」
と、笑顔で話しかけて下さいます。最近のアドバイスで嬉しかった事は、「三年前よりも前向きになりましたね。」と、言われた事です。陰ながらもずっと私の良い変化を見守っていて下さっていたなんて、すごく有難いと思いました。
加齢と共に薬の数は増えました。でも、精神面は確実に上向きに成長していると思います。筋肉量も現状維持を保っています。
現在リーダーのOコーチは、二人の子供を育てる母でありながら、コーチ歴九年のベテランです。仕事と家庭の両立を熟し、そのバイタリティーには頭が上がりません。Oコーチに教わった"やさしいお節介"を母親にしてあげて、少しでも健康寿命が延びる様に貢献したいと思います。
Oコーチ、HCコーチ、Zコーチ、Fコーチ、Nコーチの五人体制になってから、丸二年・・・。指導者が変わらなかったので、通い易かったです。Zコーチはユニークを交えた話しぶりで皆を元気づけて下さいます。Fコーチは腰痛で苦労し、痛みを分かって下さり、「自分のペースで良いですから、痛みがある時はゆっくり動かしましょう。」と、励まして下さいます。一番若いNコーチは、「痛みがあるのに、今日も頑張りましたね。と褒めて下さいます。
私以上に、もっと大変な苦労や痛みに向き合いながら通うメンバーさんに、差別なく接して下さるコーチの助けで、人生目標に近づいている人が多いのではないのでしょうか・・・。
前にも書いたように、私は薬を一生服用しなくてはなりません。副作用との戦いは毎日ありますが、自分らしくカーブスに週二~三回通える事が嬉しいです。こんな虚弱体質な私を七年半も、見捨てずにサポートして下った十六人のコーチ、また、称之合える数人メンバーさんに、感謝致します。
『本当にありがとうございます』
そして、この先も身体が動く限り、お世話になりたいと思います。
私は、現在、幸せです。