ある日、医師から骨髄異形性侯郡ですと言われました。白血病の様な病気だそうです。この病気は今の現状では治療方はありません。唯一髄移植しかないですかそれも60才以上はできないとのこと。発病してから3年~5年位の命の期限も言われただただ呆然としました。
10mの距離さえ歩くのがやっとでありがとうの五文字すら息が切れて言うことができませんでした。姉やヘルパーさんに助けてもらい1ヶ月余りをすごしたのは今から2年半位前でした。輸血や抗癌剤で何とか自力で生活できるようになりましたが、抗癌剤の副作用と不安感でしずみがちな日々を送っていました。体調は上向いているのに心の晴れない日々でした。抗癌剤もまだ新しい薬で先がどういう風になるか見通しもたっていません。もしかしたら副作用はありますが、ずっと今の様に効いていれば寿命も延びることになるはずと良い方に考え、人間には誰にでも平等に死が訪れる、私の場合は長くは生きられないかもしれないけれどその分日々を大切に暮らせる、1分1秒も無駄にはしたくないと考えました。体調のすぐれない日は定休日、元気な日は営業日として前だけ向いて生きて行こうと心に言い聞かせました。
私は今67才です。55才の時心臓大動脈解離という恐ろしい病を自宅で穴然発症し、胸が痛いと思った後は気がついたら日赤のICUの中でした。意識不明で10日位たっていた様です。14時間位かかった大手術で生死の境をさまよって、先生からも主人に「あきらめて下さい。もし助かっても重い障害が残ります」と告げられたそうです。動脈の一部が人工血管になりました。重い物をもったり、急にダッシュしたり飛行機に乗れない等、できないことができました。AEDも体験しました。カテーテルもしました。でも何とか生きていました。ああ-私は死ぬんだなあーと思いました個室に移ってからも苦しくて言葉も話せず何も食べられず痛くて1ヶ月で14kgも体重も落ちてしまいました。体のあちこちが管だらけでした。そして又今治療方も確立されていない1万に1人位しかならないような病気になり、どうして私だけ?といき場のないやるせなさがこみあがりました。
でも日々そんなことばかり思っていても心が滅入るだけです。抗癌剤も効いてきたので少しでも体調の良い日は、抵抗力も免疫力もこの病気では極端に落ちてしまい白血球・血小板・赤血球が健常者の1/3~1/4位に場合によっては減ってしまうので、他の方法で免疫力をアップできないかと本も読みました。家ばかりにいて足も腰も弱くなってしまいました。
そんな時カーブスに出会ったのです。少しでも体の動かせる日は動かして病気の性質上免疫力等は上げられなくても足や腰は今よりよくなるのではないかとカーブス入会を決めました。
話は前に戻りますが日赤での大手術の後は主人が献身的に看病してくれ今でも感謝の気持でいっぱいです。本当に良くしてくれました。そして月日は流れ先生からもうゴルフもやって良いよと言われました。子供のいない私達は夫婦でゴルフを楽しんでいたのです。どこへでも一緒に行き二人で私達ベスト夫婦賞もらえるね、なんて冗談を言っていた位でした。その主人が、私が完全に回復したのを見届けるようにしてあっという間に逝ってしまいました。まだ64才でした。何も考えられず涙だけがポロポロ流れました。ポロポロといつまでも流れました。主人の供養することだけが恩返しの日々でした。でもどこかで主人の声が聞こえる様でした。俺は元気でいるおまえが好きだからもう泣くなと。
今は副作用にも少しなれて体調の良い日も多くなり、週3回位のペースでカーブスに通っています。時には行く時間ぎりぎりまで寝込んでいて、それでも一週だけでもやってこようと重い体を起こすこともあります。でも行くとコーチ達のとびっきりの笑顔とメンバーさんとのふれ合いが私の心と体の点滴となり、2周廻れて心も体も軽くなり帰ってこられます。
これからもずっと抗癌剤と副作用とお友達でいなくてはなりません。時には辛い日もあります。病気に負けそうな時もあります。でも心はいつも前向きです。
こんな私の健康のバロメーターがカーブスです。少しでも多くカーブスに通えることを願うばかりです。コーチ達のとびっきりの笑顔とメンバーさんとのふれ合いが私の支えです。
最近は病状も少し落ち着いて、少しでも体力をつけたくて少しでも多くの人々とふれあいたくてがんばってカーブスに通っています。カーブスに出会えて本当にうれしく思います。
もっともっと多くの人々にこのカーブスを知ってもらいたいと思う今日この項です。12年前の大手術と今回の病気でできないこと、食べてはいけない物 行ってはいけない所と色々ありますが、できることもたくさんあります。ダメなことを嘆くより、やれることに感謝しています。人生ポジティブに、が今の私の全てです。まだまだやり残していることがいっぱいあります。うかうかと病気になんか負けていられません。すべての人々に感謝です。子供にも恵まれなかった私が主人に先立たれてしまい一人になりました。そして命の期限を言われる様な病気になってしまいました。少しでも自力でがんばって生きる為の私の選択がカーブスでした。本当にありがとうです。