家を出て一つ目の角を曲がれば目の前に糸島の田園地帯が広がる。深呼吸をして腹圧を確かめ、西に伸びる畦道を大きく手を振って歩き出す。傾きかけた陽の光が轍の細かい砂利の影を薄いブルーに染める。畦道は何本かのアスファルトの小道に交わっている。どのコースを選ぼうか。程よいところで折れ南に向かう。簡単に舗装した車1台やっと通れる細い道。ここで軽く走り出す。何となく土の道は歩き、アスファルトの道は走る。スローランニングって言うのかな。すると今度は東西に走る片道2車線のバイパスに出る。幸いバイパスには両側に広い歩道がついていて、車道に出ることなく歩道を東に進む。長い緩やかな上り坂をゆっくり走る。息は弾んで苦しくなる。頂上は瑞梅寺川という小さな川に架かる橋。それを渡ると下りになって楽になる。そこまでの辛抱。川を渡りきるとバイパスを外れて北に向かう。瑞梅寺川沿いの土手が桜並木になっている。土と細い砂利の道には轍がくっきりついている。農作業に使う車が入るのだろうが、今は見えない。桜の咲く頃、この土手には人が溢れるが花芽のまだ硬い今は、たまに犬を散歩させる人に会うくらい。また大きく手を振って歩き出す。川面の枯れた葦の間に鴨がガァガァ鳴きながら泳ぎ回っている。静かに白鷺が佇む。景色を楽しみ息を整えながら歩くと、東西に走る筑肥線にぶつかる。筑肥線のフェンスに手をついて折り返し、同じコースを反対にたどる。約30分。家に着くと汗びっしょり。残っている夕食の片付けを終えてすぐにお風呂に飛び込む。ウォーキング&ランニングのために家を出るのは大体夕方5時頃。早めの夕食の準備は3時頃に始める。朝は息子を送り出し、洗濯物を干してからカーブスに。帰り道買い物をして、昼食を摂って片付け、ジムに出かける主人を送り出すと、あまり時間はない。天気が気になる。今日も走れそうだ。ワクワクする。あれ?私こんなだったっけ。よくランニングしている人やウォーキングしている人を目にしても、それは私とは違う世界の人。
私はとてもとても、そんな時間もないし、体力も・・・と思っていた。

 3年半前に主人がこんなのがあるよとチラシを見せてくれたのがカーブスとの出会い。
すぐに見学に行きその日のうち入会した。その1年半くらい前に坐骨神経痛だかなんだかで腰が痛くなって座れなくなった。運動には縁がなかった私が流石にこの時ばかりは何とかしなければと、市で水中ウォーキング教室をやっているのを見つけて申し込んだ。体を動かすのは意外に楽しかった。お陰で腰の痛みは和らいだ。その後、週に一回市営プールに通ったが、体重を減らすというのには足りなかった。それでカーブスだった。

 腰が痛くなった頃、5年くらい前だが、岡山県の北部に二人で暮らしていた両親を引き取ることになった。父が階段を踏み外して踵を骨折。2ヶ月入院することになった。一人残された母は足が悪くて買い物にもいけない。私も家には知的傷害の息子がいて、頻繁に通えないし、泊まり込む訳にもいかない。近所の人や親戚も助けてくれたが、母の加齢黄斑変性の治療を福岡で受けたいとの希望もあって連れて帰ることにした。主人は当時単身赴任中。二階のベッドを分解して一階で組み立て直し、マットレスも一人で下ろして、床に座れない母の準備をした。朝一番で出掛けて、母の身の回りの物をまとめてその日のうちに母を連れて帰った。JR・新幹線との乗り継ぎも駅員さんが車椅子を準備して車内まで迎えに来てくれたり、本当に良くしていただいた。父が退院できた時も同じように車椅子で連れて帰った。幸い近くに夫婦で入れるケアハウスが見つかってしばらくして入居出来ることになった。それでも二人の病院への通院や度々の骨折での入院の付き添いで忙しくなった。特に3年前母の子宮癌が見つかってからは、福岡に越してくる前から二十年以上続けていた趣味の香道はお休みすることにした。月二回でも曜日と時間が決まっていて、病院通いと両立できなかった。それでもカーブスはほとんど休むことなく通えた。午前がダメでも午後に行けるし、毎日開いてくれて行きたい時に行ける。通院の付き添いで疲れ切った時もカーブスで軽快な音楽に乗って体を動かすのは良い気分転換になった。母の入院中もカーブスに行ってから訪ねれば明るい顔が作れた。両親をこちらに引き取るもっと前、母が膝関節変形症で両膝を人工関節に変える手術をこの福岡で受けた。うまくいったはずなのに、岡山へ帰ってのリハビリが充分でなかったのか歩行が不自由になってしまった。あの時父が心配だから帰ると言うのをもう少し引き止めておけば、あるいはあの時両親をこちらに引き取っていれば、あの時カーブスがあって連れて行っていたら・・・。あれほど旅行が好きで毎月出かけていた時もあった母なのにどこにも連れていけなかった。後悔と反省がある。歩けなきゃいけない。足を鍛えなきゃならない。私は切実に思った。

だからカーブスに通う。カーブス前原教室は私の住んで居る所からひと駅。定期券まで買った。定期代が惜しいからできるだけ毎日通う。電車は時間が決まっていて、間に合うために小走りになる。あれ、走れるじゃない。カーブスついでに駅までのほんの少しのスロージョギングが始まった。私としてはこれまでにないくらいの運動だった。そのうち体重も体脂肪率も減らなくなってきた。甘い物も好き。食べ物は減らせない。そこで夕食と翌日の朝食の間を空けるといダイエットをやってみようと思った。16時間空けるというのは無理だけど、なるべく早めに夕飯の支度をして食べよう。今まで7時くらいにジムから主人が帰るのを待って一緒に食べていた夕食を、私だけでも早めに食べようと始めたら、4時過ぎに施設から帰ってくる息子も一緒に食べるようになった。やってみると、肥満気味の息子の間食が減ってきた。これは良いと続けていると、食後にポッカリ時間ができたのに気が付いた。そう!ウォーキングとかスロージョギングとかやれる。でもこんな田舎に広い公園や整備されたジョギングコースは無い。すると私の頭の中に一つのコースが浮かんだ。糸島の田園地帯を車通りのあまりない畦道や歩道を選んで川向こうの桜並木を折り返すコースだ。川の両側が桜並木になっているが、手前は道が細いのに車通りは多くて危なくてとても走れない。そうだ車の通らない向こう岸だ。日も長くなって気候も良くなる。間もなく桜も咲くだろう。10年前に引っ越してきてせっかく桜並木が近くにあるのに年に一回か二回しか見にいかなかったのが、毎日桜の下を歩ける。母が亡くなるまでいっぱいの汚れものを抱えうつむいてトボトボ歩いていた同じ道も今は西日を浴びて走るコースの一部となった。何度か実行するうちに、とうとう主人まで早く帰ってき一緒に走るようになった。ウォーキングやランニングなんて私には縁のない事、違う世界の人たちの事、と思っていたのが、いつの間にかそっちの世界の人になりつつある。カーブスに通いだしてから体を動かすのが楽しくなって、足の筋力も付いていたようだ。まだ始めてひと月とちょっと。踏み込んだばかりの新しい世界。新しい季節の訪れとともにワクワクしている。