昨年四月、自宅のリビングでカーブスの新聞チラシを見て、ア・・・コレダ・・・と思ったその瞬間教室に電話入れ訪れたのです。杖を付き、やっと足運びもままならぬ姿に 店長さんも口アングリ。暫し沈黙・・・・。
型通りの説明、体験で店長さんも私も果して続けて行く事が出来るだろうかと云う事で?・マークでした。
 
昭和八年一月一日、北海道で生れ父の仕事は土建業です。四才の時サファリン(樺太)に渡り、十数年後敗戦のため引揚げて北海道の田舎に帰って来ました。当時の父は男のロマンと云うのか土建業を営み乍ら、果てしない夢のために大勢の従事者を親類の一番番頭に預けサファリンの炭砿町で、食品販売業を営み、平和で豊な子供時代だったと記憶にありました。やがて終戦になり生れ故郷に帰ったら状況が一変したのです。当地の農地改革と云うのか不在地主制度と云うのか、土地や建物が番頭の名義となり、親方と番頭の立場が逆転・・・親類の物置小屋での生活、"赤食洗うが如し"の生活の中で子供心に事情がのみ込めずの心境・・・十五才でした。
 
数年後、昭和二十八年間五月長女の恩師を頼って静岡入り、姉兄達は当時旧制高校を卒業していたので、それぞれの職業につき家を出ていたので、私と両親妹の生活でした。私も当時の小さな商事会社に勤め、ソロバン片手に経理事務数年間・・・。
 その頃の主人は軍人で昭和二十八年間四月、中国から十三年間拘置生活から解放され、舞鶴港に到着していたとの事 主人の実家では、音沙汰がないので、多分死んでいるだろうと云うの で家では葬式の仕度をしていたと後で聞いたのです。今にして思えば、見えない赤い糸でたぐり寄せ られて結ばれていた様な気がしております。後に知人の紹介で見合結婚、主人は公務員私は 結婚と同じに寿退社、二人の娘にも恵まれ 軍人特有の荒々しさもなく家族の中でおだやかにとけ込んで支えて呉れた様に思って居ります。
 "一年発起"私は未来の夢に向けて 美容の道を選びました。当時の通信教育 親類の美容室で、子連れの見習美容師。沢山の苦労も味わいました。気が付いたら、土地を買い求め家を作り、独立して自分の店で働いて居りました。でも身体の方が順調ではなかったのです。
 
外地からの引揚げで田舎に辿りついた或る日、激しい腹痛で、親類の馬車で連れられ隣町の町立病院で盲腸の手術、引揚者故に医療費も支払えないので放っておかれ後に腹膜炎を併発しての病気との戦いが始まったのです。病気の問屋と云うのでしょうか・・・
肺の穴三個、子宮筋腫、胆のう炎切除、胆管 切除、内臓奇型、股関節人工入替手術両足二回ずつその他小手術頭と心臓以外メスが入っているのです。
娘時代会社勤めの集金途中、私が自転車、相手が 大型バイクで衝突、バスの後に居た私が、バス停で止まったバスの下敷きになり、その時股関 節にヒビが入った。親、兄姉にも、会社にも云わず、次の日も普通に通勤したのです。
 事故から三〇年間たった五〇才の頃、腰が悪いのか足が悪いのか悩んだ末市内の個人病院で診断の結果股関節の手術を受け見事に失敗・・・。入退院を繰り返しての数年。結果的に無理もたたっての後仕末はこんなものだと反省と前進が芽を吹くのです。

車の免許も五十六才で取得しました。県の免許センターへ杖をついての相談者ですから廻りは眼パチクリです。当時年令的にも傷害者である女性は珍しいケースの様でした。体力に合わせての特殊免許です。交通事故も沢山味わいましたが、いつも私が被害者です。髙令者マーク、障害者マークのワッペン二個車に貼って安全運転に心掛けて居ります。
 
二〇年前主人も戦争の後遺症で全身ガンに侵され八月十六日未明家族に見守られ医師の手厚い医療の中で静に息を引き取りました。"僕はもう駄目だが全力で家族を守るから努力して欲しい"の遺言でした。医師からは終戦記念日を当院で・・・翌未明、旅立って行く軍人らしい最後だったと云われた時、私も始めて涙がとめどなく出ました。
 去る東北の三・一・一の地震、その三日後、当地三・一五地震で吾が家が半壊し、トイレに入っていた私が閉じ込められ酸欠状態になって九死に一生の目に合い家族に助けられたのです。
波乱万丈の云葉通りのアップ、ダウンの生活だった。無中で過ぎた生活八十余年ではあるが、苦しみよりもある意味で華もあった様な気がして"生きると云う事はこう云う事なんだ"と教えられた様な思いもあります。亡き主人の遺言通り、吾が家が窮地になった時夢枕にたって助けてくれるのです。

二世帯住宅の中で孫夫婦、私達と一諸の生活です。娘が新しい土地に家を建て、道をゆずった私の後の美容室を経営して居ります。
私の部屋を吾が家の老人ホームと名付けて居り、自分のスケジュールに合わせ、午前中はカーブスの教室へ、コーチからは姿勢が良くなったネ、杖を使ってないネ、随分心配したよ、どうなるのかと思ったよと数々の言葉がマシンの合間に飛びかうのです。嬉しかったのです。とにかく元気を取り戻しました。

カーブス入会は年令に関係ないのですネ・・・
その人の持っている力を引き出して呉れる不思議な力があるのでしょう。
教室に入る時のスタッフの声掛けにも感謝して居ります。この教室を選んで良かった。 運動と気力は同等でもあるとも私は信じて居ります。毎回が楽しく暮らせる喜びをかみしめて居ります。教室から帰ると家族のために出来る事はします。自分の作ったスケジュールは多彩です・
 テレビの報道番組、旅番組、パッチワーク、本読み友達とのテレフオン会話、亡き夫の写真の前で時にはワインをかたむけその日の出来事を報告します。
自分なりに充実した日々を送らせて頂いて居ります。カーブス教室にも感謝、家族にも感謝の毎日です。

亡き主人に行って来ますを云い、振り返って教室に一緒に行こうと私の車に誘って居ります。沢山の試練に振り廻された時があったが、終り良ければ全て良しと考えて居ります。 
コーチの笑顔につられて楽しみ乍ら、今日一日だけ精一杯頑張ろう。頑張りたい。ありがとうございました。
                                合掌