二〇一〇年、第二回のカーブスエッセイ大賞に応募させていただきました。両親を失い、精神的にも肉体的にも絶望の底から、カーブスは私を救ってくれました。全国の全く存じあげない方々からお手紙やお電話をいただき、私は幸せでした。これから頑張ろうと勇気をいただいた年でした。もちろん、自分が所属する南藤沢のスタッフの方々やメンバーさん達にもお声をかけていただき、全てが順調でした。両親の死からも立ち直りつつあり、自分にも自信が出始めていました。この時の私は、これから自分の身に起こる試練について全く予想さえしていませんでした。このまま順調に幸せな日々は続いていくのだろうとさえ感じていたのです。

 二〇一一年の年が明けたある朝、腰になんとなくの異和感を覚えたのが始まりでした。

 腰といっても右横のズボンのラインがウエストと交わるあたりの一点です。本当に最初はなんとなくでした。気にも留めずに何か月も放置しました。筋トレもスポーツもいつもと変わらずできたからです。桜の咲く頃から異和感は痛みに変化していき、激痛に変わっていきました。

 さすがにおかしいと感じて病院を受診しました。腰椎の分離すべり症からの痛みですぐ手術とのことでした。どうしても手術には踏みきれず、別の整形を受診。筋肉と神経との絡みによって生じる痛みであり、手術しか痛みを取る方法はないとの話でした。やがて、手術はしない方向になったものの、治療はブロック注射ばかりで、薬の効いている時間しか楽になれないのです。この頃の私は、夜は痛みのある右側を下にしていることも、あお向けで寝ることもできず、うつ伏せになって寝ていました。出来ない事は、日に々に増えていきました。激痛に襲われる回数も増え、夜も眠れず、食欲も落ちた、暑く辛い夏でした。

 カーブスに通う回数はめっきり少なくなっていました。行く道中も大変だし、行けば行ったで、マシンからステップボードへの移動も困難でした。歩くことにも支障は出始めていたのです。思う様に動けない自分に自分が情けなく、痛みはこのまま一生続くのか、歩けない日がやってくるかもしれないとか、不安で押し潰されそうでした。先の見えない長いトンネルの中をまさよっているようでした。

 

 七月の終りに私はカーブスをやめる決心をしました。その頃通っていた接骨院からも整形外科からも、全ての運動は禁止されました。もうこれ以上、どうにもならない自分がいました。あの日、これからも一生カーブスと共に!と決心したのに、いとも簡単に終りの日が来たのだという思いでした。

 カーブス南藤沢の店の中は混んでいました。暑さにも負けず、明るい健康的にはずんだ声に満ちていました。今日、私はここを去る為に来たのだという私の思いとは裏腹に、「久しぶりね。元気だった?」とか「どうかしたの?」って私を気使ってくれるメンバーさん達の優しい声が飛び込んでいました。

 そう、ここではいつも他人を気使ってくれる暖かい優しい雰囲気があるのです。なんて居心地がいいのだろう!私の前をいつもどおりの明るい空気が通りすぎていきました。

 悩んだ末、私は一時退会に踏みきったのです。カーブスに行かない、何もしない日の連続が始まりました。カーブスに行くことがいかに重要で、生活の一部となっていたかということに気付くのに時間はかかりませんでした。

 先ず、足の筋肉の衰えを感じました。足は夜になるとむくみました。夜中に足がつって大変でした。体重の増加で体が重くなり、何かすることがおっくうだと感じだしました。またメンタルの面からも、カーブスに通えないことは大きなストレスに変っていきました。

 メンバーさん達やコーチの方々の事を考えたり、自分だけが取り残されてしまう絶望感や焦りに襲われました。同時に自分にとってのカーブスの意味を再認識していいいく時間が与えられていきました。

 

 とうとう私は、肉体的にも精神的にもがまんができなくなって一時退会の取り消しをお願いしました。もう一度、マシンに乗ってみよう!どうなってもいいからやってみよう!と考えたのです。それは、私の中ではゼロからの再出発でした。

 一時退会を経て、マシンを再開するにあたり、コーチの方々やメンバーさん達は私を気使って下さいました。ゆっくり動いてご迷惑をかけても暖かく見守って下さいました。マシンの中にはリハビリに使われているものもあるそうです。使い方によって治療にもなることを知り、できる範囲を丁寧に動かすことに心がけました。二度と休みたくないという思いから無理をしないようにもしました。

 数ヶ月たち、この冬、私はスキーに行くことができました。スキーができるなんて夢のようです。接骨院の先生からは筋力をつければ痛みは軽減するだろうとの説明がありました。ずいぶん良くなっているから、今後は筋トレが課題であるとのお話でした。痛みは完全に良くなった訳ではありませんが、カーブスを信じて努力した日々は、大きな成果をもたらしてくれました。

 

 こうして二回目の危機もカーブスが救ってくれました。私にとってのカーブスは、筋力をつけて衰えていく体を再生していく場所だけでなく、病んだ体を治す場所にもなっていました。ここには、人と人との繋がりや暖かい心の通い合いがあり、それがメンタルな部分では大きな力を与えてくれています。

 これからの時代、ますます高齢化や一人暮らしが進む中、また、若くても体の不調や痛みに苦しむ人は多くなってくると考えます。世の中にカーブスが果たす役目はもっと大きくなるでしょう。私は、まだカーブスを知らない人や、一歩踏み出すことをためらっている人達に声を大にして伝えたいです。「ここならだいじょうぶ!一緒に歩いていこう!きっと心も身体も今以上に健康になれるから― コーチの方々を初め、皆が手を取り合ってくれるから―。」って。

 自分が健康なら他人に手を貸すことができます。自分に余力のない時には他人を思いやることさえ難しいのです。筋トレの和が健康を作る和となり、心をつなぐ和が幸せを作る和になり、目に見えない一つの和が日本だけでなく、世界中の女性達をも結んでいると考えたら、本当にすばらしいですね。

 

 五年目に入ったカーブスがある生活―。いろいろな事を学ばせていただきました。前回は、小さな事でも日々続けていれば結果は必ずついてきてくれることを学び、今回は、人と人とのつながりの輪の中で生きている自分を感じ、なんでもいいから人の役に立ちたいと願う心に気づかされました。

 完全にはほど遠い身体の状態ですが、カーブスを信じ進んでいこうと思っています。何があっても揺らがないで、ゆっくりでいいから前に進もう!そう思いながら、今日もマシンに乗っています。そして―再出発をきりました。

 今日、カーブスに来ることが出来たことに感謝します。―ありがとう!―