私は大正八年十月一日生れ、九十一才五ヶ月です。六十一才の時、夫が肺ガンで、七十一才で亡くなりました。それから現在まで一人暮らし三十年です。

 一昨年十二月、仙台に住んでいる私の娘(六十三才)が、
「おばあちゃん、盛岡は冬がとても寒いから、一人暮らしは大変でしょう。せめて十二月から三月頃まで仙台にいらして下さい」
と言って車で迎えに来てくれました。

 私は娘の好意に甘えて仙台に避暑ならぬ避寒?に行く事にいたしました。仙台には孫娘が二人居りましたが一人は結婚して福岡に住み、一人は仙台で中学校の養護教諭をしており、通勤に時間がかかるので近くのアパートに住み、休日には帰宅しますが、部屋は空いています。
 仙台では娘が至れり尽くせりの毎日で、とても居心地が良く、私は好きな編物を始めました。一日中編んでいると、何もかも忘れて夢中になり、家族の物や、知人の物も編む様になりました。
 その中でトイレに行きたくなり、立ってトイレの前まで行き、ドアに手をかける前に少しずつお漏らしをする様になりました。それが一度や二度ならず、毎日数回のことになり、いくら娘の家でも私も困りました。
 娘の夫も心配してくれ、「それはおばあちゃんが運動不足なのだから、きちんと体操する様になさい。毎日散歩しても、それは体操にならないが、何か道具は無いかなー」と言っていましたが、二階の階段を見て、「二階までは危ないから、下から二、三段の処の上り下りを繰り返せば良い」と教えてくれました。
 私も頑張って足の力をつける様に、それを続けました。使用済みの大きいカレンダーの裏に線を引いて、月日と回数を書き忘れない様に続けましたら、自然に治り、粗相もしない様になりました。その中に暖かになり、四月に娘に送られて盛岡に帰りました。

 間もなく或る日、新聞のチラシが目にとまり、見たのはカーブスのチラシでした。これが、カーブスと私のご縁でした。
 チラシをよく読んで、すぐカーブスに電話しました。「八十才の方までとございますが私は駄目ですね、九十一才ですから」と申しましたら、係の方が笑われて「大丈夫ですよ、是非お出でください。お待ちしています。」と言ってくださいました。
 今回のトイレの件から、私は体操がどんなに大事な事かという事を初めて学びました。そして筋力は、ただ歩いただけ、散歩しただけでは出来ない、正しい運動が絶対必要だと云うことも、気がつきました。それと「継続は力なり」と云う事も改めて思い知らされました。

 翌日、早速近くのカーブスに参りました。係の方が皆さん優しく、ご親切に接して下さり、会員の皆様も一生懸命に運動なさっておられるのを拝見して、私は「これだ」と心に強く感じ、すぐに入会いたしました。
 それから毎週一回カーブスに通う様になり、十一月になると、少しずつ寒くなり、また仙台が恋しくなりました。
 
 娘からは「いつでも良いから迎えに行きますよ」と言われ、盛岡のカーブスの係の人に「仙台に行く事になったので今月一杯でやめます」と申しましたら、「仙台の何町ですか?」と聞かれ「泉パークタウンです」と言うと、「其処に仙台カーブスがあるから移籍すれば止めなくても良いですよ。すぐ手続きしますから、この書類を仙台のカーブスに出して仙台の会員になって続けてください」と言って頂き、現在は仙台の会員になり、毎週、月、水、金の三回、十時から楽しく通っています。
 娘の夫が日野原先生の体操の本も買ってきてくれましたので、いつも拝見しています。カーブスの日も、うっかり忘れていると娘夫婦が、「今日はカーブスですね」と言ってくれますので、忘れる事も無くなりました。
 
 娘夫婦に感謝の毎日を楽しく過ごしています。四月になれば、また盛岡の会員になります。これからも生きている限り、カーブスはやめられません。