あと二年すれば金婚式の私達です、結婚して娘二人が産まれ、サラリーマン家庭のごく平凡な生活だったと思います。そして四十年が過ぎ、娘はそれぞれ近くに嫁ぎました。私達は二人の生活になりました。

 

 長女は四人の子供、次女は三人の子供に恵まれ、私は七人の孫持ちになり、私達は年金生活になっていました。
 長女は医師をしており忙しく、私は週の半分は娘の家へ手伝いに行っておりました。
 時々は娘家族と旅行も楽しみました、そんな時北海道のスキー旅行で、主人が多量の下血があったのですが、誰にも言わずに帰ってから病院へ行き、痔疾と診断されその治療を一年程続けていました。
 けれどもいつまでも治らず転院して主人が六十七才の時、平成十七年癌が見つかり七月七日に直腸癌の手術を受けました。
 それまでは健康そのものの主人であり、スポーツが好きで、職人で力仕事も人には負けず、テキパキと仕事をこなし休んだ事などなかったのです。
 三十日余りの入院でした、私は六十四才であまり健康体ではなかったのですが、その時は泊り込みで看病出来ました。
癌の再発を心配して 後々主人の落込む時もありました、その二年後に主人が今度は前立腺の手術をしました、その時は一週間の入院で済みました。

 

 それから一年がすぎ私も六十七才になり、主人の心配ばかりも出来ない、私が元気でなければと思いました。運動が大の苦手の私が一大決心して八月にカーブスに入会しました。家から五分程のスーパーマーケットの敷地内にカーブスが、一年前に開業していたのです。その時は頑固一徹な主人が賛成してくれ今も応援してくれています。 それまでの私は喘息の持病があり薬を持ち歩いて、高血圧の薬は毎日のんでいて、階段の上り下りで右膝が痛く苦しんでいました。娘の家へは今でも手伝いに通っていますので、 カーブスへは週三日程行きます。

 入会して三年半がすぎいつの間にか喘息の発作がなくなり、血圧も正常値で安定してきたので、娘のアドバイスで薬を半分にしました。膝痛もなくなってきました。
 ボロボロの体が健康になり自分で驚いています、カーブスのマシンで筋力をつけてスタッフさんの指導を受け長く続けたいと思います。主人は術後六年がすぎました、六ヶ月に一度内視鏡とCTの検査を受けています、先日は医師からもう安心して良いと言われました、一安心です。

 

 午前十時前に自転車で五分走ります、カーブスの前にはお友達が何人か来ていてドアのあくのを待ち、楽しい三十分が始まります。帰りはメンバーさんとマーケットで買物をします。そして先日はマーケットの旅行招待が当たりました、カーブスへ行き「私旅行当たった」と言うと「私も」「私も」と声がかかり、結局メンバー六人が当たっていました。奈良の日帰りバス旅行でした、六人で楽しい一日を過ごしてきました。
 「佐紀子さん明日は来れますか」と声をかけてくれるスタッフさんは、孫のような年令です。メンバーさんの中には「お母さん元気です か」「お母さん赤が似合うよ」と声をかけてくれるのは、娘のような年令です。
 「もう七十才」と黒っぽい服になりがちだった私が、カーブスに通い出し「まだ七十才」と気持を切り替えました。カーブスのTシャツはピンク、オレンジ、パープル・・・・ともらって八枚できました、今日は何色を着ようかとTシャツを選ぶのも楽しみの一つになりました。

 

 二人で一人前の様な生活ですが、離れて暮らす娘達には迷惑をかけず、長生きしたいと思います。七人の孫の内四人が大学生で県外で下宿をしています、私も負けてはいられません、十年続けている日本画で「五十号」の大作に取り組んでいます。
 健康は一番の宝、カーブスへは笑顔で行こう、年を忘れて若々しくをモットーに、今までは主人、娘、孫と忙しい日々でしたが、これからは自分が楽しもう自分の時間を作ろうと思います。
 カーブスで心と体の健康をもらい、以前は想像もしなかった様な、楽しい日が続いています。
 スタッフさんの元気な声、メンバーさんの笑顔、後押ししてくれる主人、応援してくれる娘、元気をくれる孫達、すべての人々に感謝している毎日です。